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「日本の公的資金投入の薦め G7で相手にされず」その後

J-CASTのこの記事が最近注目を浴びています。

日本の公的資金投入の薦め G7で相手にされず
http://www.j-cast.com/2008/02/27016904.html

米国の信用力の低い個人向け住宅融資(サブプライムローン)問題が深刻化する中、バブル崩壊後に未曾有の金融危機を招き、「失われた15年」を経験した日本は、2008年の年明け以降、国際会議などを通じて「金融機関への公的資金投入の重要性を訴える語り部を演じている」(当局筋)が、欧米各国から一顧だにされない冷たい仕打ちに会っている。
(略)
サブプライム問題では、欧米政府が多額の損失を出した大手金融機関に対して速やかな公的資金の投入を決断すべきだと間接的に求めているが、「ポールソン米財務長官や欧州中央銀行(ECB)幹部らはどこ吹く風と聞き流し、ほとんど相手にされていない」(同)という。
(略)
「欧米もサブプライム問題がさらに広がってくれば、公的資金投入に踏み出さざるを得なくなるはずだ。その時の奴らの顔が見ものだ」(日銀幹部)という声もあるが、どうなるか。

また、この記事はコメント欄も非常に興味深いものがあります。

3:匿名 2008/2/27 12:57
あー。損失補填のための公的資金投入は、銀行だけが助かり、構造インフレを起こす下策。常識だよね。これじゃ欧米に相手にされなくても、仕方ないな。
サブプライム問題は世界経済が初めて直面した状況であり、日本のバブルとは問題のレベルが違う。過去に正解を探すのは無理だと思うよ。

7:匿名 2008/2/27 16:31
自由主義陣営で民間銀行に無駄な公的資金など投入しないのが当たり前でしょう。旧大蔵官僚には天下りの思惑か?

まあ結局なんだかんだといいつつ、金融安定化法案やらなにやらでアメリカの公的資金を市場に投入することが決定したわけで、つまりは結局日銀の人の予言が当たったわけですね。後半のコメント欄やはてなブックマークでのコメントでは、日銀の人の慧眼っぷりを称えたり、ポールソン氏や欧米の金融関係者の発言や2月当時に日銀や日本政府をあざ笑っていた人を晒し上げするようなコメントが多く続いています。

ですが、その中には後だしジャンケンだとそれを批判するコメントがいくつかあったりします。確かに時系列だけを見るとその通りに見えますが、実はそれは似ているようで問題が全然別ではないでしょうか。

景気動向予測が当たった/外れたは、本質的な問題ではない

j-castの記事の時点での、ポールソン氏や欧米の金融関係者による、公金注入拒否の態度と、最近の「金融化法案」を始めとする現実の違いは、実は景気動向予測があたった/外れた」の問題ではありません。

2月の時点でポールソン氏をはじめとする金融関係者が言っていたのは、「いざとなれば投入するが、そのような事態にはならない」ではなく、「金融政策の方針として、公金の投入は行わない」という意味と取るべきです。つまり、日本にとってまたはコメントの方にとっては「公金投入するほど悪化するかしないか」の問題に見えますが、ポールソン氏をはじめとする欧米の金融関係者にとっては、「自分たちが信じている経済理論が正しいことを、これからも信じるか、信じないか」という問題なのです。

2月当時にての、日銀関係者や欧米金融関係者の、景気動向予測が当たった/外れた」は対して重要な意味を持ちません。それよりも何よりも、「自分たちが信仰し、時には反対者を嘲り笑っていた根拠となる経済理論に誤りがあることを、自分たちが認めざるを得ない状況に追い込まれた事、これが一番重要なことです。9月以降にコメントしている人を後だしジャンケンなら何でも言える」といったような主旨で批判している人は、その意味の重大さが分かっていないのではないでしょうか。

他の事例に例えるなら

今回の、アメリカにおける公金注入決定は、ただ単に「動向予測が当たった外れた」の問題ではありません。例えていうなら

  • 「聖書は一言一句全て正しい」とするキリスト教信者が創造論に間違いがある。進化論が正しい」と認める。
  • 2ちゃんねらの人が「これからはmixiで実名SNSだよね!匿名ネットなんかだめだよ!」などと主張する。

というのに例えられるぐらいの、非常に重大な「思想的、信仰的なターニングポイント」であると私は思います。いわゆる新自由主義経済、いわゆるミルトン・フリードマンの経済思想、そういった思想の熱心な信仰者が、それまでの思想の少なくとも一部が間違いであることを認めなければならない事態になった、このことこそが、j-cast記事と最近のニュースにおいて一番注目すべき点ではないでしょうか。