ポップスとクラシックとJ-POPの未来

N3さんコメントありがとうございます

コメント欄に書くとまた長くなりそうなんで、エントリを起こしてみました。

N3 『> 「安直なお約束に頼った安直なコンテンツ作りが横行している」
昔からメインストリームを行く(大衆が受け手となる)文化って、ずっとこの病にかかっては栄枯盛衰を繰り返してますよね。』(2008/10/19 10:32)

結局、その栄枯盛衰を繰り返しながら、音楽は進歩し、または伝統になっていくんでしょうね。乱暴に言ってしまえば、その手法やサウンドが100年生き延びればもうそれは「クラシック」になってしまいます。バッハだってモーツァルトだってベートーベンだってショパンだってリストだって、その当時の時代の中では「ポップス」に相当する「大衆音楽」だったのが(バッハやモーツァルトはちょっと客層が違うとは思いますが)そのサウンドや手法の優秀さが100年単位で大衆に認められ評価の栄枯盛衰を生き延びた結果、今では「クラシック」と呼ばれているわけですからね。
J-POP王道進行も、もしこの先100年生き延びれば、クラシックとは言わないまでも「手堅くお堅い伝統の手法」という評価になるのかもしれません。演歌におけるヨナ抜き音階の扱いみたいな感じですね。そして、日本人にとっての大好物っぷりからするとその可能性はひょっとしたら意外に高いのかも知れないとすら自分は思っています。だからこそ、JPOPを作っていく作曲家や編曲家のプロの方には、貴重な資源を浪費したり焼畑をするのではなく、「王道進行を使うからには、生半可なセンスのメロディじゃ話にならない」「後世に残るもっと素晴らしいメロディを作ろう」といった方向に頑張ってほしいと思います。