あずまん、分析が甘いよ

あずまんは釣りだと思いたいが・・・。

http://www.asahi.com/national/update/0612/TKY200806120251.html

もし彼が首相官邸経団連本部に突っ込んでいたら、だれもがそれをテロと見なし、
怒りの実質に関心を向けただろう。

逆です。

容疑者が秋葉原歩行者天国にトラックで突っ込み、通行人を無差別にナイフで刺しまくったからこそ、「我々」は彼の怒りの実質に関心を向けているんですよ。

これがもし首相官邸経団連本部に突っ込んでたら逆に事件の話題性が簡単に消費され、テンプレどおりの「オタクバッシング」「派遣バッシング」で終わってたでしょう。
2chでは経団連会長や首相が「ざまぁ」と煽られ、テレビや新聞では「オタクは危険だ」「派遣は危険だ」という論調ですべてが埋め尽くされ、彼の怒りの実質に関心を持たずに事件を話題として消費する、そんな結末が目に見えてる。

経団連会長や偉い政治家が襲われただけだったら、言葉は悪いけれど、我々一般人にとっては「対岸の火事」でしかありません。ワイドショーの中での劇場の出来事以上にはなりません。

「無辜(むこ)の通行人」が無差別に襲われたからこそ

  • 彼の怒りの本質はなんだったのか
  • 彼をそこまで追い込んだのはなんだったのか
  • 今の日本社会が果たして正しい社会なのか

ということを私たちが真剣に感心を寄せてるのだし、恐らく容疑者はそんな計算なんか全くなしでナチュラルにやらかしたからこそ、イデオロギーとかと切り離して考えざるを得ないのです。

・・・東ぐらいの人なら、このレベルのことは当然に分かるはずなんだけど、
あえて朝日新聞の文みたいな書き方をしたってことは、やっぱり「いいや、違うんだ!」という反論を釣るためなのかなぁ。

さて、自己責任論者、結果主義論者、成果主義論者はどう出るか。

「自己責任」「結果主義」が大好きでな人たちが居ます。所謂「マッチョ」と呼ばれる人なんかがそうですね。何かといえば「自己責任」と口走り「結果主義」を主張する。社会背景、時代背景、環境、そういったバックグラウンドも経緯は見ずに、「自己責任」「結果」「成果」と主張をする人が居ますよね。

では、彼らが正しいと主張する「結果主義、成果主義、自己責任論」を日本に導入したらどんな結果をもたらしたんでしょう。それらの人たちは、「彼ら自身の主義が日本にどんな結果をもたらしたか」について、どういう姿勢をとるのでしょうか。
彼ら自身が普段主張している論理が正しいのなら、今回の事件も「結果」「成果」「社会責任」という結論になります。普段は個人の境遇に対して社会背景、時代背景、環境、そういったバックグラウンドも経緯を全部含めての成果であり自己責任と主張するのだから、今回の事件を個人の特殊性にして社会や経済主義には無関係とする言い訳は通りません。なにしろ、個人の境遇を社会の特殊性に帰する論理を封じているのですから、社会の事件を個人の特殊性に帰するのは自己矛盾ですよね。

ということで、純粋に論理を展開するなら、

  • 今回の事件を社会が被るべきリスクやコストとして受け入れるのが正しい
  • 今回の事件を否定し、よって普段自分たちが主張してる成果主義、結果主義に従い、それ自身が間違いであるとする

大きくこの二点になるんでしょうが、さてどうなることやら。

もし本当に経団連や首相官邸を狙っていたら

もし本当に経団連首相官邸を狙っていたら

あずまんの言う通り、本当に経団連首相官邸を狙っていたとしたら、先に書いた「話題が消費されて終わり」というのもあるけど、奥田さんや御手洗さんが、ギレン・ザビとなるだけだと思うな。

結局経団連を狙ったとしても、犠牲になるのは一般職員であって、本当のトップってのは恐らくリスクに全く晒されることはないし、一般職員が犠牲になったのをこれでもかと強調して「彼らの尊い犠牲を無駄にせずに云々」とか、「彼らの遺志を決して忘れずに云々」とか、まあ早い話「この悲しみを怒りに変えて、立てよ国民よ!」という主張をし、尊い犠牲を払った○○さんのためにも」みたいな論理で亡くなった遺族を「相手の意見を無効化するための盾」として使い、なお一層経団連の主張をゴリ押しして来るんじゃないかな。

今回の事件の怖いところ

今回の容疑者ってのは、先に書いたような話や今回書いたような話を論理的に計算していたわけでは恐らく全くなく、本当に突発的に爆発した状態でナチュラルに秋葉原を狙った、って辺りがまたなお一層事態が深刻なところだと思います。

イデオロギーとか主義主張が絡んだ話なら話はまだ早いんですよ。防止するのも対策するのもそれなりのノウハウもあるでしょうし、やりようもある。だけれど、今回のように「突発的に限界を超えて暴発する相手」には、事前予測とかなんて全く無意味なわけです。「社会のあり方を変える」以外に対策のやり方がない。ぶっちゃけた話、「大企業だけを儲けさせる代償として、一般人がいつ犠牲になるかというリスクを被ることが許されるのか」という話になるわけです。

容疑者はそこまで計算していたわけでは全くないのは明らかですが、結果的に大企業や派遣業務企業に対して最も効果的なボディーブローを叩き込んだことになるんじゃないでしょすかね。